13 「思いやり」の発達科学 慈善団体への募金活動や震災復興のためのボ ランティア活動といった他者の利益を増やす行 動は向社会行動と呼ばれ,心理学においては社 会心理学や発達心理学において古くから研究が 進められてきた。もちろんヒト以外の生物でも 向社会行動は観察されるが,その多くは血縁や 身近な個体という限られた相手に対して行われ ると考えられており,ヒト社会において頻繁に 見かけることができる見ず知らずの者に対して の向社会行動は,ヒトという種を特徴付ける行 動の一つであるといえよう。またヒトにおいて 見られる向社会行動は一様ではなく,たとえば 素早く行う場合もあれば,時間をかけて行う場 合もあり,向社会行動の背後にあるメカニズム には個人差がみられることも明らかにされてい る(Yamagishi et al., 2017)。このようなヒト が示す複雑な向社会行動を正しく理解するため には,向社会行動がどのようなメカニズムに よって生じているのか,特にその生物学的なし くみ(脳や遺伝子などの働き)を明らかにする 研究,そして向社会行動が成人に至るまでの発 達過程でどのように変化していくのかを調べる 発達研究が必須であると考える。本稿では近年 行われている向社会行動に関する最新の研究結 果を紹介し,向社会行動の研究の展望について 議論する。 向社会行動とオキシトシン ヒトの向社会行動はこれまで主に社会科学に おいて扱われてきたが,現在では生命科学にお いても重要なテーマとして扱われ,向社会行動 を支える脳や遺伝子の働きについて数多くの研 究が行われている。その中でも,オキシトシ ンと呼ばれる物質が向社会行動に重要な働き を持つことが明らかにされつつある。オキシト シンは9つのアミノ酸で構成されたタンパク質 であり,視床下部の室傍核,および視索上核 にある神経細胞によって産生される(Meyer– Lindenberg et al., 2011)。視床下部で産生され たオキシトシンは,神経細胞の軸索を経由し下 垂体後葉へ輸送され,そこから毛細血管を通じ て血中に入り標的となる器官,たとえば子宮や 乳腺において受容体と結合することにより作用 を示す。一方で,室傍核にある神経細胞の一部 は下垂体後葉ではなく脳の別の領域,たとえば 扁桃体,海馬,側坐核などへも軸索を伸ばして おり,それらの領域における神経細胞の活動を 調節している。 オキシトシンは脳の中心部にある扁桃体にお いては活動を抑制する作用を持つことが知られ ている(Kirsch et al., 2005)。扁桃体は神経細 胞が集合した神経核と呼ばれる組織であり,急 を要するような事態に対して敏感に反応すると いったアラームのような役割を担う。他者から 裏切られる可能性が高い状況において扁桃体は 反応を示すが,オキシトシンを鼻から投与した 場合には,その活動が抑制され,他者から裏切 られる可能性が高い状況であっても他者を信頼 し続けてしまう傾向が高まることが明らかにさ れている(Baumgartner et al., 2008)。この結
オキシトシンが向社会行動
に果たす役割
玉川大学脳科学研究所 准教授高岸治人
(たかぎし はると) Profile─ 2011年,北海道大学大学院文学研究科で博士号を取得。日本学術振興会特別研究 員(PD),玉川大学脳科学研究所助教を経て,2019年より現職。専門は社会神経科学。著書は『情動と犯罪』(分 担執筆,朝倉書店),『なるほど!赤ちゃん学』(分担執筆,新潮社),『進化とこころの科学で学ぶ人間関係の心理 学』(分担執筆,福村出版)など。14 た(Nishina et al., 2018)。 そ の 結 果,rs53576 においてGG遺伝子型を持つ男性は,AA遺伝 子型,およびAG遺伝子型を持つ男性に比べて 扁桃体の体積が小さいこと,扁桃体の体積が 小さいほど他者を信頼する傾向が高いこと,そ してオキシトシン受容体遺伝子と信頼傾向の関 係は扁桃体の体積が媒介することを明らかにし た(図3)。これらの結果は,オキシトシン受容 体遺伝子のGG遺伝子型の男性が示す高い信頼 は,扁桃体の体積に起因することを示している。 子どもの向社会行動とオキシトシン 子どもを対象に向社会行動とオキシトシンの 関連を検討する研究では,主に子どもの唾液か らオキシトシン濃度を測定し向社会行動との関 連を調べるというアプローチ法が行われてい る。著者らは3歳から6歳までの50名の未就学 児を対象にお菓子を2者間でどのように分ける かを調べ,唾液から測定したオキシトシン濃度 との関連を調べた(Fujii et al., 2016)。実験課 題として10枚のコインチョコレートを自身と 他者との間でどのように分けるかを決定する方 法を用いた(図4)。実験では同じ保育園の子 どもを相手に分配する条件(内集団条件)と他 果は一見するとオキシトシンは不適応行動を誘 発しているように見える。しかしながら,この 実験は外部から脳内のオキシトシン濃度を強制 的に上昇させているという不自然な状況である ことに注意してほしい。日常生活においては置 かれた社会環境からの刺激によりオキシトシン の濃度が適切に調節されているため,このよう な事態に陥ることは少ないと考えられる。つま り安心できるような社会環境においてオキシト シンが分泌されることで他者から裏切られるリ スクへの見積もりが低下し,その結果として向 社会行動が促進されると考えられる。もちろん 安心できないような社会環境においてはオキシ トシンの分泌は抑制されると考えらえるため, 向社会行動は促進されないだろう。 向社会行動を支える遺伝子 向社会行動におけるオキシトシンの役割を研 究する別の方法としてオキシトシンに関わる遺 伝子に注目する研究がある。遺伝子は私たち の体を構成するタンパク質の設計図であり,ヒ トでは32億の塩基対の中に約21,000個の遺伝 子が存在している。オキシトシン受容体に関わ る遺伝子は第3染色体にあり,約19,000の塩基 対からなる。塩基配列の個人差は多型と呼ば れ,ある特定の1つの塩基配列の多型のことを 1塩基多型と呼ぶ。オキシトシン受容体遺伝子 には様々な多型が確認されているが,rs53576 と呼ばれる1塩基多型が向社会行動と関連する ことが明らかにされている(図1)。著者らは 玉川大学周辺に住む20代から50代までの男女 427名におけるオキシトシン受容体遺伝子にあ るrs53576を調べ,他者への信頼傾向との関連 を検討した(Nishina et al., 2015)。その結果, rs53576においてGG遺伝子型を持つ男性は, AA遺伝子型,およびAG遺伝子型を持つ男性 よりも他者を信頼する傾向が高いことが明らか になった(図2)。興味深いことに女性におい てはその関連性は見られなかった。さらに著者 らは同参加者を対象にMRI(磁気共鳴画像法) 装置を用い参加者の脳画像を測定することで, rs53576と脳の構造の関連について検討を行っ 図 1 オキシトシン受容体遺伝子の構造 図 2 信頼傾向の平均値 エラーバーは標準誤差を 示す。 女性 AA AG GG 男性 �.� �.� �.� �.� �.� �.� �.� �.� �.� �.� 他 者 へ の 信 頼 傾 向
15 「思いやり」の発達科学 の保育園の子どもを相手に分配 する条件(外集団条件)を参加 者内要因で設け比較を行った。 課題では実験者が横に座り参加 者は1人で決定を行った。また 相手分のトレイの上に同じ保育 園の子どもが映った集合写真, もしくは他の保育園の子どもが 映った集合写真を置くことで条 件操作を行った。実験の結果,女の子において は唾液中オキシトシン濃度が高いほど内集団へ の分配個数が高い傾向が見られたが,男の子に おいては逆に唾液中オキシトシン濃度が高いほ ど集団の種類にかかわらず分配個数が低い傾向 が見られた(図5)。これらの結果は,未就学 児という若い年齢であってもオキシトシンは向 社会行動を調節していること,そしてオキシト シンと向社会行動の関連には性差があることを 示している。別の3歳児を対象とした研究にお いては,唾液中オキシトシン濃度が高いほど仲 の良い友人と遊ぶ際に互恵的な行動をとる傾向 が高いこと(Feldman et al., 2013),そして3 歳から5歳の子どもを対象にした実験では,オ キシトシン受容体遺伝子でGG遺伝子型を持つ 子どもほどAA遺伝子型,およびAG遺伝子型 を持つ子どもより向社会行動の傾向が高いこと が明らかにされている(Wu et al., 2015)。子 どもを対象に向社会行動とオキシトシンの関連 を調べた研究はまだ少なく,その関係性につい て結論づけることは難しいが,現在までのとこ ろは概ね成人で見られた結果と同様の結果が示 されている。 唾液からのオキシトシンの測定は採血のよう な参加者にストレスを与えることがないため, 特に子どもにおいて有用であると考える。しか しながら,唾液中のオキシトシン濃度は低いた め検出することが難しく,その解析方法には批 判(McCullough et al., 2013)もあるので注意 して実施する必要がある。 オキシトシンが向社会行動に果たす役割 図 4 分配課題の実験状況 図 3 オキシトシン受容体遺伝子と左扁桃体の体積の関連 図 5 未就学児における向社会行動と唾液中オキシトシン濃度の関連 女性 AA/AG GG 男性 女性 男性 �.�� �.�� �.�� �.�� -�.�� -�.�� -�.�� 標 準 化 さ れ た 左 扁 桃 体 の 体 積 �.�� �.�� �.�� �.�� �.�� -�.�� -�.�� 標 準 化 さ れ た 左 扁 桃 体 の 体 積 信頼=低 信頼=中 信頼=高 �� � � � � � � � � � � 内 集 団 へ の 分 配 個 数 ︵ 男 児 ︶ 唾液中オキシトシン濃度(pg/ml) �� � � � � � � � � � � 内 集 団 へ の 分 配 個 数 ︵ 女 児 ︶ 唾液中オキシトシン濃度(pg/ml) �� � � � � � � � � � � 外 集 団 へ の 分 配 個 数 ︵ 男 児 ︶ 唾液中オキシトシン濃度(pg/ml) �� � � � � � � � � � � 外 集 団 へ の 分 配 個 数 ︵ 女 児 ︶ 唾液中オキシトシン濃度(pg/ml)
16 オキシトシンに対する批判 近年,オキシトシンが信頼を促進するという 結果が再現できないという研究結果も報告さ れている(Declerck et al., 2020)。オキシトシ ンは向社会行動を支える物質ではないのだろう か。オキシトシンと向社会行動の関係性が見ら れない原因の一つとして向社会行動のメカニズ ムには個人差があることが考えられる。向社会 行動はすばやく直感的に行われる場合と,時間 をかけて熟慮的に行われる場合があることは本 稿の冒頭で示した。であるならば,向社会行動 を支える生物学的な基盤にも個人差があってし かるべきである。たとえば,オキシトシンは扁 桃体の活動を抑制することで社会的リスクの見 積もりを低下させるが,社会的リスクが向社会 行動に影響を及ぼすのはある特定の社会的価値 を持つ集団においてのみであることが明らかに されている(Yamagishi et al., 2017)。向社会 行動におけるオキシトシンの重要性には個人差 があると考えられるため,今後の研究では個人 差を視野にいれた研究が必要であると考える。 遺伝子と環境の相互作用 ヒトが示す向社会行動は社会環境との相互作 用の中で社会環境に適応するようにダイナミッ クに変化していく。近年,エピゲノムと呼ばれ る遺伝子発現を扱う研究が多く行われており, DNAメチル化と呼ばれる塩基配列を変化させ ずに遺伝子の働きを制御するメカニズムに注目 が集まっている。DNAメチル化は環境からの 影響を受け,様々な遺伝子の働きを制御する。 DNAメチル化解析は,社会環境からの影響を 物質レベルで理解することを可能とする。した がって今後はどのような社会環境要因が向社会 行動を支える遺伝子のDNAメチル化に影響を 与え,その結果として向社会行動が形作られて いくかを明らかにする研究が盛んになると考え られる。 文 献
Baumgartner, T., Heinrichs, M., Vonlanthen, A., Fischbacher, U., & Fehr, E. (2008). Oxytocin shapes the neural circuitry of trust and trust adaptation in humans. Neuron, 58(4), 639–650.
Declerck, C. H., Boone, C., Pauwels, L., Vogt, B., & Fehr, E. (2020). A registered replication study on oxytocin and trust. Nature Human Behaviour, 4(6), 646–655.
Kirsch, P., Esslinger, C., & Chen, Q., et al. (2005). Oxytocin modulates neural circuitry for social cognition and fear in humans. Journal of Neuroscience, 25(49), 11489–11493.
Feldman, R., Gordon, I., Influs, M., Gutbir, T., & Ebstein, R. P. (2013). Parental oxytocin and early caregiving jointly shape children’s oxytocin response and social reciprocity. Neuropsychopharmacology, 38(7), 1154– 1162.
Fujii, T., Schug, J., Nishina, K., Takahashi, T., Okada, H., & Takagishi, H. (2016). Relationship between salivary oxytocin levels and generosity in preschoolers. Scientific Reports, 6, 38662.
McCullough, M. E., Churchland, P. S., & Mendez, A. J. (2013). Problems with measuring peripheral oxytocin: Can the data on oxytocin and human behavior be trusted?. Neuroscience & Biobehavioral Reviews, 37(8), 1485–1492.
Meyer–Lindenberg, A., Domes, G., Kirsch, P., & Heinrichs, M. (2011). Oxytocin and vasopressin in the human brain: Social neuropeptides for translational medicine. Nature Reviews Neuroscience, 12(9), 524– 538.
Nishina, K., Takagishi, H., Inoue–Murayama, M., Takahashi, H., & Yamagishi, T. (2015). Polymorphism of the oxytocin receptor gene modulates behavioral and attitudinal trust among men but not women. PloS one, 10(10), e0137089.
Nishina, K., Takagishi, H., & Fermin, A. S. R., et al. (2018). Association of the oxytocin receptor gene with attitudinal trust: Role of amygdala volume. Social Cognitive and Affective Neuroscience, 13(10), 1091–1097.
Yamagishi, T., Matsumoto, Y., Kiyonari, T., et al. (2017). Response time in economic games reflects different types of decision conflict for prosocial and proself individuals. Proceedings of the National Academy of Sciences, 114(24), 6394–6399.
Wu, N. & Su, Y. (2015). Oxytocin receptor gene relates to theory of mind and prosocial behavior in children. Journal of Cognition and Development, 16(2), 302– 313.